「カイシャ」にしがみつく理由考察

「やっぱりお金」が悪く聞こえる、日本のカイシャ

みなさん、こんにちは。

コダモンです。

 

カイシャに入って、最初の飲み会での一コマです。

 

部署での歓迎会で、カイシャの近くの居酒屋に行きました。

 

まだ配属となって期間も浅いので、基本的な質問に答えたり、これまで海外生活の話をしたり、和やかな雰囲気でした。

 

そんな中、ホロ酔い気分になってきた上司の1人(50代のオジサン)が、「うわぁ…」と思うくらい、語り始めました。

 

「ウチのカイシャはな…」と、新入りのハーフに、日本のカイシャとはなんぞやについて話し始めた後、「俺が若かった頃は…」という、絵に描いたような流れ。周りの同僚もあきれ半分で聞いていました。

 

この人は、これまで勤続何十年を自慢したく、また、過去のバブル時代の経験など、とにかく武勇伝的な話をしたのでした。

 

入ったばかりで失礼があってもアレなので、「ふんふん」と相槌を打ちつつ聞きながら、この人はさぞ「カイシャ愛」が強かろう、と思っていました。

 

そして続けて、こう質問してくるのです。「カイシャで仕事をするのは、何のため?」、と。

 

コダモンは正直に、「サラリーマンというくらいなので、お金ですかね」と答えました。

 

案の定、その答えには納得ができなかったらしく、少々不機嫌になる上司。ただ、歓迎会という事もあって、周りからもたしなめられ、そのテーマは流れました。

 

その後、歓迎会も進み話題もとっくに変わった頃、なぜか宝くじの話になっていました。

 

その時、これまでいかにカイシャが立派で、いかにカイシャに貢献してきたか、を語っていた上司が、こんな事を言い始めるのです:

 

 

宝くじで3億円当たったら、とりあえずカイシャ辞めるかな~

 

 

ん?? ちょっと待ってください。

 

ついさっきまで、定年まで勤め上げる事がどんなに素晴らしいか。カイシャに貢献することで、様々な意味が見出せるのだ。などと語っていた人が、「お金が十分にある状況だったら、カイシャから真っ先に決別する」と言ったようなものです。

 

しかも、「カイシャ勤めはお金のため」、というコダモンの意見を、肯定してもいます。

 

入社して数日という日の出来事でしたが、その時は何ともいえない気持ちになりましたね。

 

何が1番ひっかかったかと言うと:

 

カイシャ勤めの中で、見えないルール、模範や「あるべき姿」などを、身に染み込ませて耐え抜いてきたサラリーマンの典型を、そこに見たこと

 

この上司は、

 

「カイシャは決してお金のためだけじゃない」事。

 

「安定を見出す事が素晴らしい」事。

 

などを、自分に言い聞かせ、カイシャに対して頑張る姿勢を見せてきたのでしょう。たくさん残業をし、コツコツ働いてきて、もうすぐ部長になれる…という事に、生きがいを感じているのです。

 

そして、このような人材を評価しようとするのが、悲しいかな、現実なのかもしれません。

 

ただ、ここまでカイシャにしがみつく必要は、全くありません。

 

なぜなら、企業に勤めるのは、単純にお金のためだからです。

 

日常の大半を過ごす部署内に、気の合う同僚などができれば、もちろんそれに越した事はありません。

 

ですが、欧米のように、「自身のスキルを活かしアウトプットを出す事に対して、報酬を得ている」と、割り切るべきです。

 

終身雇用というワードすらもあまり聞かなくなって久しい、現在の日本の「カイシャ」。そこにしがみつく理由は、全くありません。終身雇用制度がそもそも良しとされているのは、日本くらいですしね。

 

先の飲み会の席で、「身を粉にしてカイシャに勤める(姿勢)がいかに素晴らしいか」を語っていた上司も、結局はお金です。ですが、それ自体の考え方は良いのです。

 

ここで重要なのは、メインが「カイシャ」であってはいけないこと。

 

そのお金でいかに家族を幸せにできて、プライベートの充実に費やすことができるか」が、1番大事であるべきです。

 

人生の大部分をオフィスでの時間と仕事のストレスが占めるような働き方は、まったくもって本末転倒。

 

そして、そこからの脱却をして転職したコダモンの判断は、正しかったです。

 

コダモン